2013年8月20日火曜日

神殿の壁の厚さ

仕事と合わせの合間にふらりと高島屋散歩へ。マキシンの帽子はやっぱり素敵!!冠婚葬祭用のでしょうか、浅くかぶるタイプのベレーで、レースが顔にふんわりとかかり、後頭部には薔薇の飾りがしとやかに置かれています。とてもとてもお上品で、ついこっそりひとりで被ってときめいてしまいました。まるで妃殿下の被るお帽子のよう。上質なものにふれるとなんだか気持ちがふんわりとして高揚しますね。


八丈島と前後しますが、お盆には母方の実家である栃木県に帰っていました。何年前からでしょうか、ひまわり祭りと銘打って畑一面にひまわりを咲かせるイベントが何時の間にか夏に開催されるようになり、今年はわたしも足を運んで見ました。


一面に広がる黄色の花の、その様々な表情に家族でしばらく見とれてしまいました。団体の魅力というのは個体では敵わないとおもわせる力がありますね。まさに圧巻でした。それはグルスキー展でも感じましたね。


栃木ではまた、庭のトマトでミートソースを作り、ナスとじゃがいもでチーズ焼きに致しました。日よけに生やしたゴーヤではチャンプルーを作り、芝生に植えたスイカは今年は小玉とは言い難い大きさにまで成長しました。


都心にいると、裕福な友達や素晴らしい先輩方をみていると、つい夢を見てしまいます。自分もあのように、素敵なアクセサリやお召し物を着てみたい。休みには毎回両親を旅行に行かせ、いいところのお肉やお魚をいい食器の上に素敵に並べ、食卓に並べてみたい。お祝いには上等のワイン。祖父母の家の改築をし、自分だって都心に住んで、コンサートの帰りには両親に泊まってもらえるようにしたい。

でも、栃木で過ごしている時にいつも感じるのは、ここに不足しているものは無いということでした。そりゃあ震災で崩れたところはまだ直せていないし、ガタがきているものは山ほどある。スズメバチは毎年凝りもせず巣を作るし、譜面台とピアノは壊れています、それでも、あそこで過ごす時間はわたしの中でとてもとても大事なものなのです。毎日住んでいないから言える身勝手な発言かもしれませんし、相変わらず都心に帰ればまたいつものように不満が多くなっていくのだけれど、

いつか身の丈にあった幸せというか、ひとつのわたしの到達点を見定められたらいいなあ、なんて思うのです。煩悩にまみれているわたしだけど、どうか神様が導いてくださるように、祈ったりもするのでした。



星野沙織
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2013年8月18日日曜日

八丈島より

八丈島おじゃれホールにて、こけら落とし公演無事に終了しました。お聞きくださった島民の方々、またご一緒させていただいた素晴らしいプレイヤーの皆々様、お声をかけてくださった小森谷先生、有難う御座いました。とても幸せな経験をさせていただきました!!こんな機会でもないと、八丈島にこられなかったでしょう。

おじゃれホールは深海をイメージして作られたそうで、照明は水泡のように大小のまるで形作られ、また座席の色も水をイメージした鮮やかなライトブルー。天井に設置された照明用の支えや壁などは暗めの色合いで岩窟をイメージしているかのようで、音楽ホールとして作られたわけではないのですがとても響きの良い、また雰囲気も素晴らしいホールでした。ここでまた演奏出来たらいいなあ。トリオの三人でこられたら素敵なのになあなんて、そんなことふと思ってしまったりしました。

開演前にはなんと、松本蘭先輩が直々にわたしの髪の毛を巻いてくれました!!感激すぎる…( ; ; )もうずっと、小さな頃から憧れの先輩だった蘭さんとご一緒出来るだけでも有難いのに、髪の毛巻き巻きしてもらえるなんて。思わず記念に写真を撮ってしまいました(>_<)



ちなみに黒い洋服なのは小森谷先生、松本知将さん、中実穂さんのメンデルスゾーンのトリオの譜めくりをするためです。舞台上で一流の方の演奏を聴けるなんてこんな贅沢な経験までさせていただき、本当に思い出に残るコンサートとなりました。


開演前には近くの公園をお散歩。やはり八丈島、東京ではみられない独特の樹木が生えていましたし、鳥たちもいままで聞いたことないような歌声です。ちょうちょはまた美しくあざやかで、モンキチョウの黄色などはとてもとても、熟れたバナナよりも鮮やかでした。







いまから打ち上げご飯。昨晩も美味しいご飯を頂きましたので、いかんせんこちらに来てから食べ過ぎです…(>_<)

星野沙織
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2013年8月16日金曜日

言葉にしたらなにかが変わってしまう

昨日は終戦記念日でしたね。68年前、玉音放送のあった正午丁度から、チャリティ演奏をさせていただきました。

わたしは戦争を全く知らないし、復興と混乱にただ進むしかなかった日本の情勢や世界的立場なども歴史として知っているだけでよくはわかりません。そして、今と昔、あるいは他国と自国においてどちらが良いのかなどはもっとわかりません。そしてそれを比べるために勉強したいとも思いません。勉強したところでわたしは多分、なにも動かないだろうとわかっているからです。ただ不満を口にしてなにもしないだけだろうから、たとえば事実を知って憂うことになるなら、それは悲しかったり辛かったりする思いを自分の中に増やすだけのような気がして嫌なのです。

ただ、どんな時代のどんな国に生まれていたとしてもきっと確かに思うことら、わたしの大切な人たちが悲しいことのために涙を流さないようにということです。一番怖いのは、わたしのために誰かが涙を流すことだと最近思うのです。誰かを失うことでわたしが悲しく思うより、それは余程怖くて悲しくていたたまれないのです。誰かに惜しまれるような出来た人間ではないから、ただどこかでこっそり生きさせてもらえればいいなんてそんなこと思ったりもすれば、うんと愛されていたいと思いもするめちゃくちゃなものだから、だからどうか、わたしの大事なひとたちを手を握って送り出してあげられるように、そんな世界であればいいのです。


マザーテレサの空っぽな体の中には、彼女が握った手の、無数のひとびとのあたたかさが詰まっていたのでしょうか。そのあたたかさが彼女のいのちの火であるように、本当はそうではなく彼女には彼女の火が小さく燃えていたのに、外から見るわたしたちにはその火はあんまり奥ゆかしく燃えていたので気がつかなかったのでしょうか。それとも、彼女の火はいつしかもう燃えることをやめて、降り積もるひとびとの火に飲み込まれ一体となったのでしょうか。

もしわたしの大事なひとが彼女のような生き方をしていたら、わたしはきっと泣いてしまうでしょう。やめてくださいとお願いしてしまうでしょう。自分のために生きてくださいと言ってしまうでしょう。

世界には信じられないほど強い方がいらっしゃいます。慈しみを強さにする方、ひたむきな探求を強さにする方、言葉を強さにする方、肉体を強さにする方、そしてひとはみんな、愛によってもっと強くなるのでしょう。


わたしは音楽でなにができるのでしょう。音楽はなぜひとの生活に必要なのでしょう。詩はなぜこころを打つのでしょう。声はなぜこんなに染み渡り、ぬくみは安心を与えてくれるのでしょう。

そんなことをふと、またはぼんやりと、とりとめもなく考えてしまうのでした。

動画は先日のチャリティ演奏より、さとうきび畑。



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2013年8月14日水曜日

構成としての生

先日、ドイツの現代写真家であるアンドレアス・グルスキーさんの個展を拝見するために国立新美術館へ行ってまいりました。海外で、ことアメリカやドイツなどでは幾たびも個展を開いていたグルスキーさんですが、日本での個展は今回が初ということで彼の代表作が惜しげもなく何点も展示されておりました。なんと贅沢な!

とはいえ、わたしはこの展示までグルスキーさんのことを全く知りませんでした。チラシなどの写真を見てもなんとなくピンとこないといいますか、印象派絵画のほうが美しいなあなんて思っていたのです。

しかし、実際目の前いっぱいに広がる牧場の、牛たちの自由ながら美しく配置されているーそれは意図としてそこに置かれているわけではないはずで、またどの牛が座ってどの牛が立っているなども指示出来るはずも無いのですーさまや、アパルトメントの色とりどりの窓にカーテン、場合によってはカメラのほうを覗くような視線の住人、モノクロに色彩調整されたカテドラルの、そこから漏れる透明で粛々とした光が映し出す細かな埃など、その作品たちひとつひとつを見ているうちに、何時の間にかわたしの中にある時間軸は失われ、それにより空いたスペースにただ新鮮で美しいそれらの写真をしまい込むのに必死になっていました。こと証券取引所でやりあう多くの人々や、メーデーで集まった群衆の、丘のような様相は、人間がこの世界や社会や仕組みの中で、その仕組みを動かし支配している側ではなく、動かされ支配されているひとつの構成物質となっているように感じられてとても新鮮且つ新たな気持ちを感じられたことへの喜びを得ることが出来ました。

いままでグルスキーさんのことを知らなかったのがもったいないです。そして、もしまだご覧になったことがない方がいらっしゃったら是非足をお運びくださいませ。

http://gursky.jp/


グルスキーさんの個展に行く前に、ちょっと腹ごしらえ、ということでランチを頂きました。レスプリ・ミタニさんというお店。普段はジビエが充実しているようなのですが、時期的にいまはジビエではないのでバスク風オムレツや羊肉などを頂きました。ボリュームありすぎて、ぱんぱんになってしまいましたが、どうやら夜はもっと凄いボリュームだそうで…わ、わたしまだ修行が足らないようです^^;笑

お店の近くにはワインのお店もあって、試飲などをさせていただいちゃったり。ミタニでは昼間からシャンパンを飲んじゃったりして、もうなんていうかとってもリフレッシュした一日でした。音楽も好きだけど、やはりわたし、絵画や写真が好きだなあ!

本日はチャリティ演奏。いってまいります。

星野沙織
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2013年8月8日木曜日

ティファニーとビアズリー

8月も一週間が過ぎましたが暑さもまだまだ厳しいですね。緑はより一層力強く成長し、太陽の光を充分跳ね返すだけの力を蓄えているようです。蝉はこぞって鳴き交わし、その声の合間合間をアゲハチョウの美しい羽が縫っていきます。時折顔をみせるトンボの細い身体に秋の気配を感じたりしながら、いっぱいに日差しを吸い込んだ野菜や果実を毎日頂けるのはとても嬉しいことですね。


先日、何年ぶりかに百貨店内のティファニーを母と覗いたのですがやはりとても美しくて上品で、見ていてふんわりと優しい気分になりました。しかしあのエメラルドグリーンのような色をみただけで大抵のひとがティファニーとわかるのだから、すごいことだなと思います。色だけでブランドが想像されるって、ティファニーくらいのものじゃないかしら…

それからふとまた、ビアズリーの絵とティファニーが一緒になったらとても素敵なんじゃないかなと考えていました。ビアズリーの描いたサロメの首にティファニーのネックレスがかかっている、ティファニーの優しくて純粋な美しさと、ビアズリーの死を感じさせる退廃的な美しさがどんな風に合わさるのか、とても見てみたい!オフィーリアの死もそうですが、純なものの死、それもやや狂気じみた死というのは心の筐底からなにかが湧き上がるような、ぞくぞくとした恐ろしさと艶やかさを感じずにはおれません。なのでビアズリーやアラステア、ハリークラークなどの絵はわたしにとってかなり興味深く好きなのでした。あ、でもルノワールやピカソ、レンブラントにゴッホ、モネ、ミレー、ミロ、あとマン・レイなんかも勿論好きです!

…ビアズリーの画集とか、もう洋書でしかないし取り寄せもできなかったりするから困る…( ; ; )あと買ってすぐ使ってみようとしたら色が全く出なかったマーカー、交換しにいかなきゃなあ…


先日、チェコで活躍している友人と2年半ぶりに会って話をしました。中学の頃からの知り合いだからもうかれこれ10年来。良い意味で全く変わらない彼に会う度安心しつつ、彼の博識と音楽に対する姿勢にいつもいつも驚かされ、自分のさかしらを恥ずかしく思うのです。彼に負けないように、わたしも頑張らなければ。


もっと強くしなやかになっていけたら、稲穂のように鳥の翼のように、花を咲かす枝枝のように実らせる樹木のように、雲を撫ぜる風のように凪ぐ海のように、でもわたし自身を殺さないようにしながらすべてのものに尊敬をもって接していけるように、そんな理想論を恥ずかしげもなく言えてしまえるほど、今日はすこし健やかな気分なのでした。
写真はビアズリー。
星野沙織
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2013年8月5日月曜日

有難う御座いました。

昨日、ツリーオブミュージックを終えることが出来ました。お越しくださった皆様、どうも有難う御座いました。また、プレゼントを下さいました方もいらっしゃいまして本当に有難い限りです。有難う御座います。

1日に音の葉の真夏の饗宴を終えてから休みがなく、練習もままならない状態でのメンデルスゾーンだったのでとても不安だったのですが、有難いお言葉も頂けたりしていまはほっとしています。どんな曲もそうですが、弾く前は「もう弾きたくない、なんでこんな辛い思いをしてわたしは弾かなきゃならないのだろう」って何度も何度も自問自答し、逃げたい気持ちを抑えつつ、ビターチョコレートをドーピングしたり大声を出してみたり、泣きたくなったり怯えてみたりとにかく大変な精神状態になるのですが、弾き始めて終わってみると、なんて素敵な曲だったんだろう、また弾きたい、もっとうまく弾きたい、もっと伝えられるようになりたいって思っているのだからーこれはおそらく全てのプレイヤーに言えることなのですー音楽家というのは本当に困った人種だと思います。

まだわたしは音楽家と名乗るには実力も表現力も足らないのですが、いつか自分でちゃんと「音楽家です」といえるようになりたいものです。そんな日が来るのかしら!?


話は変わりまして、9月はじめに知り合いのグループ展示に参加すると以前記事に書いたかと思うのですが、勿論音楽で参加もするかもしれないのがひとつと、あとはイラストで参加させていただくことになっています。

なにぶん絵を展示するというのは初めての経験で、嬉しくわくわくする反面とてつもなく怯えてもおります。いざ紙に向かうとなにも浮かばなくて、改めて画家さんの凄さといいますか、なにもないところからの創造に従事する方の力を痛感しております。


展示会自体がどうなるのかまだわからないのですが、絵画をはじめ書道やパフォーマンスをなさる方もおります。おそらくポストカードなどを販売したり、ご希望の方がいたら原画をお売りするという形になるのかなと思っておりますが、それは近日にわかり次第またご連絡いたします。

わたしの知り合いの青山さんという方も展示なさるのですが、とても幻想的で不思議な魅力のある絵をお描きになりますので是非足をお運び頂けたらと思います。


気がつけば8月も5日め。わたしの誕生日まで20日ほどということは、東京ドームでAKBの仕事をしたのが一年前!早いなあ。

一日一日を、瞬間瞬間をこぼさないようにひろっていけたらいいなと、ふと仕事へ向かう車内で思ったのでした。
写真は1日終演後。

星野沙織
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2013年8月2日金曜日

有難う御座いました。

昨日、いずみホールでの昼公演、夜公演を終えました。お越しくださいました方々、どうも有難う御座いました!

昼は小さなお客様も沢山来てくれて、一緒に歌を歌ってくれたり、体を動かして音楽を楽しんでくれていました。また、夜公演ではドリーやドッペルコンツェルトなどの耳馴染みのある曲から、ドビュッシーのカルテットなどクラシック好きの方も満足頂ける曲目となっていたかと思います。

今回のメンバーはほとんど国立で一緒に勉強をしていた先輩や仲間たちなので、まるで同窓会のように本当に楽しく終える事が出来ました。また、初めて譜めくりをしたり、影アナをしたりなど普段は接する機会のないことまでさせていただいて、なんだかとても勉強になりました!

また、嬉しいお言葉を頂けたり、体調を気遣ってくださる方もいまして、本当に感謝しております。有難う御座います。見ての通り回復していますが、体に無理をさせないようなんとなく気を使っていきたいと思っています。みなさん引き続き見守っていてくだされば幸いです笑

次は4日のツリーオブミュージックのアンコール企画ですが、明日も仕事があるので頑張って参りたいとおもいます。


わたしが絵本や詩集が好きなのはこちらを読んでくださっている方々はもうお分かりかとおもいますが、幼少期からずっとお気に入りで読んでいたものがありまして、マザーグースのうたが聞こえるという本です。
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/459350094X


この表紙からして好きだったのですが、日本語訳もとてもリズムよく訳されていて、もう二冊もっている他のマザーグースの本よりこの本が一等好きでした。色彩もとても美しくて、誰がコマドリ殺したか、の挿絵などは何度も何度も見返しておりました。

ところが先日、ふとまた読みたくなって本棚を漁って見たのですが、あとの二冊は見つかるのにどうしてもこの本だけ見つからないのです。絵本や童話などを従兄弟や近所の子にあげたりしたので、その時に誰かの手に渡ってしまったのかもしれません。あああ…
この本だけは残して置きたかったものなので、もう一度買い直そうかなあ^^;でもペロー童話集を購入してしまったので、また余裕が出来たら買おうかななんて思っています。ビアズリーの画集も買いたいのに、うーんうーん(>_<)



写真は昨日終わったあとに地元のカフェで両親と食べたフローズンヨーグルト、美味しかった^^
星野沙織
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