2013年10月8日火曜日

あなたとてをつなぐこと

一番好きな歌があります。定期的にそれを聴いては、その度胸がいっぱいになるのです。

美しくまた素晴らしい詩に、同じかそれ以上素晴らしい音楽が付くとその詩が何倍にも印象深く、また素晴らしく感じますが、三善晃先生の「生きる」はまさにそれだと思っています。

谷川俊太郎は「生きる」の詩の中で、生きているということは木漏れ日が眩しいということだと言いました。海は轟くということ、かたつむりは這うということ、ひとは愛するということ、また、あなたと手をつなぐこと、すべての美しいものに出会うということだと言いました。
もしそれがそうなら、三善晃先生の「生きる」に出逢えたことがわたしにとっての「いきているということ」だったのかもしれません。


三善先生はいま、あちら側でまた美しい詩に美しい音楽を縫い合わせているのでしょうか。わたしがいつかあちら側に行った時、書き溜めた三善先生の素晴らしい作品の数々を聞かせていただけるのだと信じて、先生のご冥福を心よりお祈り致します。



夏に出歩くのが苦手です。地面にたくさん蟻が歩いていて、ずっと注意していないと踏み殺してしまうからとても怖いのです。みなさん経験がおありでしょうが時々見計らったように足の着地点に蟻が走り込んできたりするので、そういう時などは足をあらぬ方向に急旋回させなければならず、その度どきどきします。


秋になってくれたのでそろそろ普通に歩けるなと思っていたのですが、今日のような秋晴れの日ですとまだ忙しく地面を走り回ってお仕事してますね。お疲れ様です。


2,3日前にモンキチョウを見かけて、まさか今の時期に生まれてきたのかとびっくりしましたが今日はシジミチョウのつがいを見つけましたし、カにも刺されました。虫たちも秋晴れの日は嬉しくなるのかしら…

シジミチョウのつがいが鉢植えの草花の中でじゃれあっているのをみていると、命の不思議を感じずにはおれません。蝶々の脳はせいぜい3つの簡単な働きを体に送っているわけで、勿論わたしたちのように複雑な信号を出す脳ではありません。生物学的にみれば、蝶々は子孫を残すという生き物の本能で相手を探すわけです。
そんなことはわかっているし、余計なことを感じてしまうのはわたしが人間だからなのでしょうが、それでも二匹がきらきら木漏れ日の中で踊っている姿は、わたしには愛に満ちているように見えてならないのです。相手に出逢えた喜びや愛を伝えあって、生きていることを喜んでいるように見えてしまうのです。

わたしもこんな掛け値のない、純粋な喜びの中で感謝して生きていけたら、なんてまた柄にもなく思ったりしてしまって、ダンスの邪魔をしないようそっと二匹の横を気配を押し殺して通り過ぎたのでした。



ああ、刺された手首が痛痒い…^^;
写真はアレクサンドルドゥパリの蝶々のカチューシャ
星野沙織