2013年6月13日木曜日

永遠をみつけるか、瞬間を慈しむか

本日も湿気は少しあれど晴天、例年に比べたらずいぶんからりとした梅雨時期の富山の朝です。おはようございます。

久しぶりにヴィオラをいじっておりますが、なかなかやはり難しいものですね。まずアルト譜表というのがひとつの難関で、次にC線の存在による運指の変化、楽器本来の重さといったところでしょうか。
ヴィオラでオーケストラに参加した後、ヴァイオリンをもつと軽いわ小さいわできゅうにヴァイオリンが愛しくなってしまいます。こんなに小さくて壊れちゃいそう!!なんて^^ちなみにわたしはヴィオラの音が好きで、とくにC線の魅力といったら、なぜヴァイオリンに標準装備されなかったのかと文句を言いたくなるくらいです。ヴィオラとヴァイオリン、近い存在の楽器同士なのにこんなに違って感じるのですから、たまには違う楽器を弾くというのもいいですね。それぞれの良さを再認識できます。


今朝方、といっても深夜ですが、3、4時頃、右足の痛みで目が覚めました。以前などは左ひざの痛みで目覚めることが多かったのですが(わたしの左ひざは骨が少しおかしいのです)、右足のふくらはぎがつったように痛くなったのは初めてだったので少々新鮮でした。ストレッチして寝ないと駄目ですね。体最近かたくなってしまっているからなあ><


ランボーがふいに永遠を見つけたように、わたしも自分で永遠を見つけてみたいと思うのです。谷川俊太郎が生きているという事がどういうことなのかをしたためたように、わたしもつまりこれが生きているという事なのだと自分に言えるものを見つけたいのです。

6時頃でしょうか、とても特徴的な鳴き方をする鳥が、少しあけたわたしの部屋の窓に挨拶を投げかけて来ました。一瞬の声だったのと、わたしが寝ぼけていたせいでいまはもう鮮明に思い出せないのですが、もしかしたら生きているというのはこういうことなのかもしれない、なんて思いました。

どんな姿をしていた鳥だったのだろう。くちばしの色は、形は、翼の色は、目の色は、どんなだったのだろう。また明日も来てくれないかなあ。そうしたら今度は飛び起きて、ちゃんとわたしも挨拶に窓辺にいくのに。

星野沙織

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