2013年5月7日火曜日

深爪

昔から深爪というものが苦手というか怖いタチで、バイオリンを専攻しているのに長めの爪でした。

深爪をした時のあの独特の痛みが嫌いなのと、切りすぎると爪と肉の間がぱっくりと割れてしまってグリッサンドなどをしようものならかなりの痛みを伴うというのが嫌なのですが、そのせいで弾きにくいのもまた事実。何度先生に「爪長いんじゃない?」と言われたことか…笑

爪とは関係がありませんが、なんだか今日は指の動きがよくなかったです。そんな日はなんだかいろいろな話を思い出してふいに怖くなってしまいます。第一線で活躍なさってた方が、ある朝起きたら左腕が動かなくなっていて引退せざるを得なかっただとか、腱鞘炎がどんどんひどくなって演奏者としては諦め指導者の道へいったとか、どんな気持ちだつたんだろうとか考えるといても立っても、といった具合です。

なんの分野でもそうだとは思いますが、その道を極めたひとであればあるほど、その極めたものを辞めざるを得なくなった時に自分の存在意義を疑うんだと思います。これがやれるから自分はいたのに、それができなくなったいま自分に存在する意味はない、何もできないと思ってしまうのではないでしょうか。ちっぽけなバイオリン弾きのわたしでさえそう思うのですから、一流の方々は尚更そうお思いになったりするのではないかなあ。

よかれと思って積み重ねた練習によって指を壊して弾けなくなってしまうなんて、まるで深爪のよう。深爪は爪が伸びてくれば治るけれど、一度ひどく壊れた指は元には戻りません。

幼稚園がおわったあとに、小学校がおわったあとに、中学にあがったあとも、勉強が忙しい高校の時も、音楽を勉強してる子達は練習をしています。夏はコンクールとセミナーがあり、冬は発表会と試験があります。春には新入生を迎える演奏のための練習をせねばならないし、その合間合間にはちいさい本番などがあったりします。

好きなことを仕事に出来て羨ましいと言われる事があります。確かにその通り、好きでもないことを、仕事だから仕方ないと嫌々毎日続けているひとに比べたらとても恵まれている仕事だと思います。でも決してそこで楽そうでいいなあ、と思わないでいただきたいのです。それまでの間にどれだけ音楽家が音楽に時間を捧げてきたか、遊びたい気持ちを抑えてきたか、泣きながら朝も昼も夜も練習してきたか、少しだけ想像していただきたいのです。会社の祝賀会の時、お料理やお話に夢中で誰も聴いていないその会場の隅でピアノを弾いているピアニストは、その会で弾くために何時間も練習してきています。そしてその何時間の練習で弾けるようになるために、まだ言葉もおぼつかない頃から必死でピアノと向き合ってきています。深爪をした日だって、指を切った日だって、痛みを気にする暇もなく練習を重ねてきているんです。

その仕事についていないと、その仕事の本当の辛さや本当の素晴らしさはわからないものだと思います。演奏を終えて、お客さまから素敵な演奏でした、とか、ありがとうと言われた時のあの気持ちは、やはり体験しないと伝わらないものなのだと思います。その言葉を少しでも多く聞きたくて、どれだけ辛い思いをしてもまた懲りずに演奏家は次の曲を弾くのではないでしょうか。少なくともわたしはそういう節があります。^^

ひとやペットの繋がりも深爪のように、深くなりすぎると情がうつって自分が傷つくこともあるでしょう。強いひとはそれを恐れないで、傷つくことよりももっと大きい、繋がりをもてる幸せや充足感を大切に感じられるのでしょうが、弱いわたしはまだまだ、深爪に怯えてしまいます。深爪をしたって肉が割れたって、コンツェルト一曲弾ききれるくらいの強さが身についたらとても素敵なのになあ。
星野沙織