2013年5月26日日曜日

熟れる実の早さ

おはようございます。といってももうおそよう、くらいでしょうか^^本日もとても良い天気ですね。五月晴れ、ともうしましょうか。

段々と新緑が、生まれたての柔らかさから青年の若々しさに変わって、春の花々はいよいよ姿をひそめる時期になりました。道々をピンクに染めていたツツジもこれが最後だというように目一杯咲き切っていますね。

ある時から、花が枯れて行く姿がとても恐ろしく感じるようになりました。枯れる前の熟れに熟れた姿が、死が間近に迫っているのをわかっているような、いっそ下品なまでに馨しい蜜の香りやしどけなく開き切った花弁一枚一枚、それらがいくつもいくつも折り重なって花壇や花瓶の中でゆらゆらしているさまが、わたしの中で澱のように溜まって行くのです。死ぬ前に子孫を残そうと恥もなにもかもかなぐり捨てて虫たちを誘う花が、生き物としての本能を剥き出しに映し出しているようでどきりとしてしまいます。こと切り花の水を替える時などは、その水に花の命が溶け出しているように感じてたまらなくなったりするのです。

勿論美しい花を見るのは大好きで、春や夏はとてもうきうきします。冬から春になった時、ふと見た足元に咲いた最初のオオイヌノフグリを見つけた時の喜びといったらありません。秋の落ち葉だって枯れるという意味では同じなのですが、花に感じるような怖さは感じません。

多分、花はわたしには美しすぎるから、はかなくて大胆で、死ぬ時まで瑞々しすぎるから、まるでミレーの描いたオフィーリアのように、生と死の間をゆらゆら行き来しながらゆっくりと死んで行くから、こんなにも身近に死を感じてしまうから、だから怖いのだろうと思います。

朝からなんだか考えてしまいました。バルトーク、はやく弾けるようにならなければなあ。などと考えながら、本日の本番会場へ向かうのでした。
星野沙織
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