2013年5月19日日曜日

有難う御座いました。

ここ数日、ご無沙汰しておりました。ご心配おかけしまして申し訳御座いません。

本日、無事にコンツェルトを終える事ができました。わたしが演奏致しましたのはドヴォルジャークのヴァイオリンコンツェルトの2,3楽章で、1楽章は友達が弾きました。

ご存知の方が殆どかと思いますが、コンツェルトといいますのは日本語で協奏曲と書き、オーケストラと独奏楽器による楽曲のことをいいます。独奏楽器はピアノであったりヴァイオリンであったり、フルート、チェロ、オーボエ、トランペットなどなど様々、また作曲家もバロック時代から現代に至るまで多種多様な方がコンツェルトを作曲しています。

ドヴォルジャークはチェコを代表するロマン派の作曲家で、幼い頃にヴァイオリンを習っていました。また彼の才能はブラームスに認められ、あの素晴らしいメロディを紡ぎ出すブラームスに「彼はメロディを生み出す天才だ(ブラームスが言った正確な言葉でないかもしれませんが、確かこのようなニュアンスだったと思います)」と言われた程でした。
彼の作り出すメロディはどこか懐かしくて切なく、故郷を彷彿とさせる甘酸っぱさが感じられます。広々と広がる麦畑、それらを抱くように果てなく続く青空の、中ほどを掻っ切るように飛んでいく鳶や、それを仰ぎ見るこどもの麦わら帽子に隠された、危うげな栗毛色の髪の感触。ドヴォルジャークはあのような旋律をどんな気持ちで書き留めたのでしょう。わたしが想像している風景の少しでも、彼が想像したりみていたりしていたら良いと2楽章を弾きながら思っておりました。

3楽章はまるで小鳥がさえずるように始まります。(余談ですが小鳥のさえずりというとわたしはいつもプロコフィエフのピーターと狼を思い出します。フルートの奏でる小鳥のモチーフが、くるくると頭の中を飛び回るのです。)
独奏者(この場合わたしですが)がテーマを弾くと、それを受けてオーケストラが同じテーマを華々しく奏でるといった、掛け合いのような作りになっています。中間部はどっぷりとドヴォルジャークの世界が広がっており、チェコの民族的な旋律と独奏楽器の超絶技巧により曲半ばの見せ場となっています。
終盤の盛り上がりは言わずもがなで、オーケストラの溢れ出す音の数々に独奏のきらびやかなメロディが絡み合い、瑞々しい音たちが極みまで上り詰めた時、このヴァイオリンコンツェルトは幕をおろすのです。
ドヴォルジャークといいますとチェロコンツェルトがあまりにも有名ですが、このヴァイオリンコンツェルトもチェコの自然を感じさせられる素晴らしい曲ですので、是非一度お聞きいただければと思います。

そんなこんなでして、ここ数週間はプレッシャーでてんやわんやでした。コンツェルトというのは先程も申しましたがオーケストラと一緒に弾くわけで、つまりオーケストラがなにをしているか理解していないと演奏がうまくできません。アンサンブルがうまくいかないとならないけれど、自分がソロということを忘れてオケに埋れてしまってはいけないし、かといってひとりよがりではアンサンブルもへったくれもありません。それにソロなのでどんなに長い曲でも暗譜をせねばならず、故に練習もソナタや他の曲に比べてかなりの時間や集中力を要します。

コンツェルトというと高校時代にヴィヴァルディを、大学時代にチャイコフスキーをやって今回で3度目でしたが、回を重ねるごとにコンツェルトに対する畏怖が高まっているように感じます。歳を重ねる程に怖いものが増えるように、本番に起こりうる様々な思いもがけない事態を危惧してしまうからでしょうか。ちなみにわたしは大人になって、木登りが怖くなってしまいました。小学校の頃はイチョウの木のてっぺんまで登って、気に入りの本を読んでいたのですが、いまはとてもとてもそんなことはできません。

そんな畏怖に加え、今回はコンツェルトを演奏する11人の最後だったものですから今まで素敵な演奏をしてきた他の子の演奏に泥を塗るわけにはとそんな緊張もありました。

冷静になって見つめ直せば、今回の演奏ちらほらとやってしまっている部分も多く、明日になって気分が落ち着いたら「ああ、嫌だ!こんな演奏!」なんてまた頭を抱えたくなるのだろうと思います。でもとりあえずいまは、乗り切れた自分にお疲れ様、と言いたいです。

本番が終わったあと、指揮者の先生やわたしの師匠、またチェロの先生やピアノの先生、友人たちにお褒めのお言葉を頂戴出来たのがとても有難く、またこの上なく幸せな気持ちになれて、ああ、本当に幸せだなあとしみじみ思いました。有難う御座います。

また、メールやお手紙で励まして下さった方々、本当に有難う御座います。いつもいつも支えられています。朝起きたらメールがきているだとか、ふとみたポストに可愛らしい便箋で丁寧に書かれている文字のひとつひとつであるとか、本番終了のご褒美のお品を送ってくださったり、またはわたしの演奏についての感想をとても丁寧に分析してご連絡くださったりだとか、本当に沢山の方に優しさをいただいています。こんなふうにしていただくと、わたしのような人として欠落したような人間でも生きていて良いのだと許されているようで心が軽くなります。

いないほうがいいのだ、と思うことなんて多々あって、自分の足らなさに涙が出ることなんてしょっちゅうあります。未来が怖くてたまらなかったり、いま目の前の本番もうまく出来るのか不安で怯えたり、でも進んでいくしかないわけで、そうして進んでいくうちに少し、例えば縫い目のひとつぶんほどでも成長出来れば、それは生きていてよかったのだと、そう思うようにしたいと最近は思っています。


支えてくださる方々に沢山の感謝を込めて。



星野沙織